でも、長門は嫁じゃないんだよね。いつまでも長門長門で、いつまでも文芸部室で本を読んでいる。僕はそこを訪れて、いくつか質問をする。
たとえば自己の連続性について。
たとえば時間移動の可能性について。
万物理論の可能性について。
意識の創発について。
長門はそれに端的な返答を寄越す。
「自己の認識は他者に対するそれと構造としてはほぼ同様。境界を見出せないから錯覚するだけ。むしろ他者を敷衍したものとして自己が認識される」
「いつまでここにいるの?」
長門はちょっと本から目を離して、がらんとした部室に視線を放り投げる。
「わからない」
「嘘だよね」それを嘘と言うかは微妙だが。
「言語による説明は当面は不可能。でも、あなたはその必要がないと考えている。それに、いまわたしが置かれている状況はわたしを制限するものではない」
それなりに楽しい、ということなのだろう。夕焼けに雲の輪郭がまぶしくて、長門の表情は観察できない。視覚の特性を呪う。
「今日は帰るよ」
「そう」
「僕はまたここに来るかな?」
「それ自体は決定可能な命題。しかしそれをあなたに伝えるとあなたはそれを回避するよう行動する」
「収束しないの?」
「それを望んでいる?」
「いいや」御免蒙る。自分の行動にそういう定点が生まれてしまったら、それはいったいどのように認識されるだろう?思考の定点。死は一つの定点だろうか?
あまり音を立てないように気をつけながら扉を閉め、校舎の外に出る。秋の日はツール・ド・フランス。外はさっきよりも暗くなっている。そろそろ読書も限界だろう。蛍でも召喚するか、それとも雪か。そんなことを考えながら、歪んだフェンスをどうにか乗り越える。
次はもう、無いかもしれない。